Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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ミステリ紀行 『レンヌ・ル・シャトー』編



村の人口100人にも満たない小さな小さな南フランスの村。3つ星レストランがあるわけでも有名ホテルがあるわけでもない。交通の便もいいとはいえない。それなのに毎年相当数の観光客が訪れ、この村を舞台とした本が各国で数多く書かれている。今回はこの村、レンヌ・ル・シャトーのミステリーです。

まだ『ダヴィンチコード』が影も形もなかった頃、ある早春に私はこの村を訪れました。もちろん当時、このシャトーを巡るミステリーを熟知していたわけもありません。この地方でその昔痛ましく抹消されたカタリ派の生き残りがいて、それがここの住人だとか、村人の顔だちが違うとかそんなことは聞いてましたが、それより周囲にある廃虚やテルマール(あるんです。こんなところにも)に興味があり、たまたま立ち寄っただけでした。
ところが、そのキッチュな感じの教会や司祭の部屋や図書室、時期外れの桜が満開の庭などを見ているうちに、めまいを覚えました。建物は古いし確かに地盤が傾いていたこともありますが、空気がちょっと違う。風水学をしている人はきっと何かわかると思います。なんというか、テーマパークのようなのです。生命の息吹が感じられない、生活感がないといったらいいのでしょうか。



教会内の入り口付近にある悪魔Asmodeusの像。

  1885年6月1日、南フランスの小さな村レンヌ・ル・シャトーに、ベランジェ・ソニエールという名の新しい教区司祭がやって来た。赴任後の6年間、ソニエールは貧しいが穏やかな生活を楽しんでいた。彼はずいぶん熱心な読書家で、ラテン語に精通しギリシア語もわかる、ヘブライ語の勉強もはじめていた。家政婦兼召使いとしてマリー・デナルノーという農家の少女を雇い、その後、彼女はソニエールの召し使いとして長く仕えることになる。

1891年、ソニエールは、村の荒れ果てた教会の修復を始めた。そして彼は中が空洞になっている柱から、木製の円筒に封印された4枚の羊皮紙を発見した。このうち2枚は家系図、残る2枚は1780年代のもので、ソニエールの先任者にあたるアントワーヌ・ビグー神父が書いた物らしい。この2枚の羊皮紙は、一見敬虔なラテン語で新約聖書の抜粋が書かれているようであった。ソニエールは、重要なものを発見したとして、上司にあたるカルソンヌの司教の元にそれを持っていった。上司は、その羊皮紙をパリの教会の古文書、古文字の権威に見せるために、ただちに旅費を工面してソニエールを派遣した。そこで一応文章は解読された。現在でも発見当時の文章と暗号解読後の文章が残っているが、何を意味しているのかまったくわからない。


普段おちゃらけているのに、なぜかこの瞬間祈りのポーズをとったコドモ。
  この事件の後、ソニエールが1917年に死去するまで、彼は湯水のように多額の金額を浪費した。ソニエールの訪問客としては、フランス文化相、フランスの王族、オーストリア皇帝ヨーゼフの従兄弟ヨハン・ハプスブルグ大公などがいた。ドイツ王室と密接に関係しているハプスブルグ大公が、よりによって戦争中の1916年に、この小さな村の司教をなぜ訪れたのか。理由はまったく謎のままである。
ソニエールのふるまいに教会当局は彼を詰問したが、彼は財産の説明や教区の転任を断った。教会裁判は彼に有罪を宣告したにもかかわらず、ソニエールはバチカンに訴えて、告発は却下された。カソリック教会の中で最下位の教区司祭が、バチカンに直接コンタクトをとりそれが認められるとは、当時、まず考えられぬ話であった。
ソニエールは1917年1月17日に脳卒中で倒れ、1月22日に息を引き取った。彼が死の床にあるとき、最後の祈りのためにやってきた若い司祭は、彼の告白を聞いて恐ろしさのあまり真っ青となり、以後二度と笑うことはなかったといわれている。さらにソニエールは、臨終の際の秘蹟を拒否したというのだ。
ソニエールの死後、財産を委譲されていたマリーは、1953年にその財産や権力の秘密を誰にも明かさぬままこの世を去る。

人々は彼が何か財宝を発見したのではないかと噂した。彼の死後、その財宝目当てにこの村には多くの人が訪れ、宝探しを行った。しかし何ひとつ発見することはなかった。どうやら、ソニエールが見つけたのは物質的な宝ではなく(事実そうだとしたら隠せない程の莫大な量になる)、情報のようなものではなかったかという説がある。そして彼はそれを使い、誰かを脅していたと考える説である。
またこの地区は13世紀に滅びた異端カタリ派の本拠地が近かったところからその財宝を見つけたという説、はたまたUFOが関係しているという説まで、まさにミステリー小説格好の題材となって現在に至っている。