Dr.MANAの南仏通信〜フランスのエスプリをご一緒に…〜
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ワンダーウーマン考 プロローグ ―世の中に“ワンダーウーマン”がいなくなる!?理想社会を夢見て (2017.12.12)











『ワンダーウーマン』を観ました。初の女性監督によるアメコミ・ヒーロー映画です。監督はパティ・ジェンキンス、女性ヒーロー“ワンダーウーマン”の主演はガル・ガドット、男性共演者“スティーヴ”にはクリス・パイン。
ワンダーウーマンは「ヒーロー映画第1作史上No.1記録達成」、「女性監督作品史上No.1の全米オープニング記録」、「女性監督作品史上No.1の全世界興行収入」などの数々の記録を塗り替えた歴史的な大ヒット作となりました。アメリカのハロウィンでは女性のみなさんこぞってワンダーウーマンだったとか。今年の世界流行語大賞があったならば、2017年度の受賞は間違いなかったことと思われます。 原作誕生から75年かかっての映画化です。少しオーバーですが“ガラスの天井”が突き破られ、将来の人類史に名を留める作品となったとしても、おかしくないかもしれません。

欧米での熱狂的なブームにひきかえ日本での『ワンダーウーマン』は不発だったいっていいでしょう。興行収入予測15〜30億円に対し、結果は15億円に未だしで息切れしてしまいました。
全米の封切から3か月後という遅すぎる公開、乃木坂46による日本だけのテーマ曲作成に見られる戦略的錯誤――よくもまぁ、作品が訴求するメッセージと真逆のステラテジーを考えたもの! 映画ファンからが轟々たる非難の声も上がったのも当然です。一般に「女性ヒーロー作品が当たらない国は社会的に遅れている」といいますが。もしそう思われたとしたら残念ですが、日本に関しては宣伝戦略部門のミスキャストであったことにしておきましょう。

『ワンダーウーマン』のヒットによって、今後数年間は女性ヒーロー主役の作品がラッシュとなるでしょう。2019年には『キャプテン・マーベル』、さらには『ワンダーウーマンPARTU』、また『シルバー&ブラック』、『ゴッサム・シティ・セイレーンズ』、『バットガール』などの企画が続々と動きだします。
世界の流行なんて気にしない、「海の向こうはよその国、日本は日本よ」でいいのでしょうか? 欧米に追従しろというのではありません。世界の人たちと時代が進運している感覚をともにしていきたいのです。私がひとつ覚えのように言っている“センシュアル”、受けるにしろ発するにしろ、感覚を研ぎ澄まそうではありませんか。

ワンダーウーマンを観た個人的感想を正直に述べれば、楽しかったに尽きます。楽しいのみならず、幸せな気分になりました。映画館を出た後に見た風景の色が違っていました。ヒーローの女性は戦う女性です。なにより強い、そして美しくチャーミング!助けられる女性ヒロインではなく、助ける女性ヒーローなのです。
主演男性をヒーローといい、主演女性をヒロインといった時代は終わりました。発想の転換というより事実が逆転した記念作品となりました。さらに言えば、救うのは「いじめっ子に泣いている身近な人」なんかじゃありません。彼女は「全世界」を救うのです!

ワンダフル! Wonderful!
たしかに、そんなことができる女性はワンダーウーマンWonder Womanのみでしょう。Wonderとは「驚異の」「不思議な」「驚くべき」こと。しかし、女性のみんなが強くなり、美しくチャーミングになれば、あっという間に全世界は救えます。みんながワンダーウーマン(=素晴らしい女性)になれば、結果として地球上にワンダーウーマンはいなくなりますよね。
私はそんな世界を夢見ています。これからしばらく、このワンダーウーマン周辺で思ったり感じたり、体験したことを述べていきたいと考えています。

私の感想は前述の通りですが世界、ことに地元のアメリカの女性の反応は爆発的だったように思われます。そのひとつ『ロスアンジェルスタイムス』の記者メレディス・ウェルナーの記事を紹介しましょう。
タイトルは「なぜ私は戦闘シーンに号泣したか」――“Why I cried through the fight scenes in 'Wonder Woman'”By Meredith Woerner(LA Times;06/05/2017)。
(*)原文はこちら。→

『ワンダーウーマン』の間中泣くなんて思ってもいなかったと、ウェルナーは書いています。しかも、まさか戦闘シーンのたびに涙が襲ってこようとは。たしかにガル・ガドットのスピーチは良かったし、好きなキャラクターの死には胸をうたれた。けれど、戦闘シーンの間ずっと目を泣きはらしてスクリーンがぼやけていたなんて信じられなかった、と。
アマゾン国の女王と最高神ゼウスの子であるプリンセス・ダイアナ。男のいない島では戦士たちの激しい訓練が行われています。その時空の裂け目から、第1次世界大戦中のスティーヴの飛行機と追ってきたドイツ軍が現れて、人間界の凶悪な暴力の修羅場に曝されることになります。暴力と殺戮の影には戦いの神アレスがいるはずです。ダイアナは人間たちを救おうと決意して、国の人々別れ旅立ちます。
ウェルナーはダイアナの戦いの道程を記していますが、ストーリーを追うことは原文を読んでください。アメコミ・ヒーロー映画ですから、当然ながらワンダーウーマンは勝利します。だけど、なにがこれまでと違ったのか。なぜ、これほどまでにアメリカ中を熱狂させたのかが問題です。それを彼女は端的にこう言います(あとの日本語は私の意訳です)。

Witnessing a woman hold the field, and the camera, for that long blew open an arguably monotonous genre. We didn’t need a computer-generated tree or a sassy raccoon to change the superhero game; what we needed was a woman.
“Wonder Woman” director Patty Jenkins wasn’t too surprised when I described my tearful reaction. “I’ve heard that a lot,” she said.
……女性の存在する場所を表現するに際し、映像はあまりにも長い間単調な繰り返しに終始してきた。世の中のスーパーヒーロー・ゲームを大転換させるにはコンピュータ・グラフィックスの樹木やアニメメーションの狸なんて要らなかった、ただ女性だけが必要だったのだ。監督のパティ・ジェンキンスは、私が泣いたと告白したと聞いても、驚きはしなかった。「みんなから、いっぱい聞いてきたわ」。

私は映画が女性の役割を転換させたのだと思います。なにを、どのように変えたのか? そのことをこれから考えていきたいと思います。